名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)1026号 判決 1969年2月28日
原告
塚本光義
被告
熊沢貞彦
ほか二名
主文
一、被告らは各自原告に対し、三一五万一、一五三円とこれに対する昭和四二年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを七分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。
四、この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
第一、双方の申立
一、原告
被告らは各自原告に対し三七三万七、〇四三円とこれに対する昭和四二年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決と仮執行の宣言。
二、被告ら
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二、双方の主張
一、原告の請求原因
1 事故の発生
昭和四二年一月一日午後七時二五分頃、小牧市大字久保一色四一三番地国道四一号線上で小森清三郎が運転し、原告が同乗していた普通乗用自動車と被告熊沢の運転していた普通乗用自動車(以下被告車という)が衝突し、原告は頭部、顔面打撲症、顔面挫創、左眼球打撲傷の傷害を受けた。
2 被告熊沢の過失
右事故は被告熊沢が無免許で、かつ、飲酒酩酊のため安全な運転ができないのに車を運転し、また、前方注視を怠り、漫然と先行車を追い越すためセンターラインを突破して進行した過失により発生したものである。
3 被告恒川両名の地位
被告両名はいずれも被告車の保有者である。
4 損害
(一) 治療費 五万一、一五三円
(二) 休業補償費 一七万五、〇〇〇円
原告は中村印刷所にオフセット製版工として勤務しその月収は平均五万円であつたが、本件事故のため昭和四二年九月一四日まで欠勤を余儀なくされた。そこですでに被告から支払を受けた分を除き昭和四二年六月から同年九月一四日までの休業補償として頭書の金員の支払いを求める。
(三) 得べかりし利益
(イ) 原告は本件事故により左眼視神経萎縮の傷害を受け左眼の視力が0.2に減退し、オフセット製版工の仕事に従事できなくなつたため、昭和四二年九月一五日から製版助手として月収三万五、〇〇〇円で前記中村印刷所に再雇傭してもらうこととなつた。従つて原告は月一万五、〇〇〇円の減収となり、同年一〇月から昭和四三年一月までの間四ケ月間の喪失利益は六万円となる。
(ロ) 更に原告は昭和一七年一〇月一三日生れの男子であるから今後なお二〇年間はオフセット製版工として就労できるはずであつた。そこで右減収額の二〇年間の総額につきホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現在価を求めると二四五万八九〇円となる。
(四) 慰藉料 一〇〇万円
原告の受けた傷害の程度その他諸般の事情に照らすと慰藉料は頭書の金額が相当である。
二、被告熊沢の答弁
請求原因1の事実は認める。同2の事実中被告熊沢の無免許の点は認めるが、その余は争う。同4の損害については京大附属病院の医療費は支払済みであり、また、休業補償として被告は原告に対し四二年一月分四万一、〇〇〇円、二月分四万八、七〇〇円、三月分五万円、四月から七月まで各月三万円宛支払つた。その余の損害はいずれも争う。
三、被告恒川幸彦の答弁
請求原因1の事実は認めるが、同3の事実は否認する。同4の損害は争う。
四、被告恒川善光の答弁
請求原因1の事実は認める。同3の事実については被告車が被告恒川善光の所有であることは認めるが、被告善光はこれを熊沢に貸与したことも使用を許したこともない。同4の損害は争う。
五、原告の認否
被告熊沢主張の金員を原告が受領したことは認める。
第三、双方の立証〔略〕
理由
一、事故の発生
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二、被告熊沢の過失
〔証拠略〕によれば本件事故の発生につき被告熊沢に原告主張のような過失のあつたこと(飲酒酩酊の点はしばらく措く)は優に肯認できるところであり、これに反する証拠はない。
三、被告恒川両名の保有者責任
被告車が被告恒川善光の所有であることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、被告車は被告善光が自己の名義で名古屋トヨペット株式会社から買受け、税金その他ガソリン代等の経費はすべて同被告が負担していたこと被告恒川の家族では幸彦だけが車の免許証を持つている関係からその現実の使用権限は被告幸彦に一任されており、同被告において専らこれを自己の用務に使用していたこと、本件事故は少くとも右幸彦の承諾のもとに被告熊沢が被告車を運転中惹起したものであること、以上の事実が認められこれに反する証拠はない。以上の事実関係からみると被告車は事故当時なお被告恒川両名の運行支配にあつたと認めるのが相当であるから同被告らはいずれも自賠法三条に基づく保有者責任を免れないといわねばならない。
四、損害
(一) 治療費 五万一、一五三円
〔証拠略〕によれば原告は治療費として頭書の金員を支出したことが認められこれに反する証拠はない。
(二) 逸失利益 二五〇万円
〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められる。
原告は昭和一七年一〇月一三日生れの男子で本件事故当時はオフセット印刷の製版工として中村印刷所に勤務し、その月収は諸手当を含め約五万円であつた。原告は本件事故により頭部、顔面打撲症、顔面挫創、左眼外傷性視神経萎縮の傷害を受け、広瀬病院で一ケ月たらず入院治療し、その後は京大附属病院に移つて眼の治療につとめ、視束管開放手術も行つたが、結局視力回復に至らず、左眼視力は0.2に低下し、眼鏡による矯正は不能でその症状は固定したものと診断されている。その結果原告は雇主とも相談のうえオフセット製版工を断念し、復職後は製版助手の仕事に就いて現在に至つている。原告は右負傷治療のため事故後昭和四二年九月一四日までその勤め先を欠勤し、また復職後の給与は諸手当を含め月三万五、〇〇〇円に低下したがその差額一万五、〇〇〇円の減収は少くともオフセット製版工としての就労年限である四五才位までは続くであろうと考えられる。原告は昭和四二年一月分として中村印刷所から給与の半額(二万円)の支給を受けたほか、被告熊沢から休業補償として同年六月までに合計二五万九、七〇〇円の支払を受けている(被告熊沢の支払関係は当事者間に争いがない)。
以上の事実が認められこれに反する証拠はない。
こうした事実からみると原告は受傷後復職するまでの間差引一四万五、三〇〇円(ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して昭和四二年一月一日現在の価額に換算すると一四万円―一万円未満切捨―となる)の給与収入を喪失し、更にその後二〇年間にわたり控え目にみても月一万五、〇〇〇円の減収となるであろうと推認されるのでその間の喪失利益の総額をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し昭和四二年一月一日現在の価額に引き直すと二三六万円となる。以上、結局原告の逸失利益の総額は二五〇万円となる。
(三) 慰藉料 六〇万円
本件にあらわれた一切の事情、特に原告の後遺症の程度(自賠法施行令別表の一三級に該当するものと認められる)も考慮するとその慰藉料は六〇万円が相当であると認められる。
五、結び
以上により原告の本訴請求は三一五万一、一五三円とこれに対する事故発生の昭和四二年一月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し訴訟費用は各一部敗訴した原被告が主文掲記の割合で負担することとし、原告勝訴部分につきその申立により仮執行の宣言をすることとして主文のとおり判決する。
(裁判官 西川正世 渡辺公雄 磯部有宏)